大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成4年(う)491号 判決 1992年11月25日

本籍

東京都杉並区天沼三丁目二六番

住居

同都世田谷区上祖師谷一丁目二七番地一 小林和枝方

会社役員

小林泰輔

昭和一二年一二月二六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成四年三月一一日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官町田幸雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人島田種次及び同鈴木善和連名の控訴趣意書に記載のとおり(量刑不当の主張)であり、これに対する答弁は、検察官町田幸雄名義の答弁書に記載のとおりであるから、これらを引用する。

そこで、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、理化学用硝子器具の製造・販売を目的とする小倉硝子工業株式会社の共同経営に当たっていた税理士伊藤信幸から、大量の株式売買を勧められ、かつ、所得税の課税要件を回避するため、他人名義で株式取引を行うよう教示された被告人が、営利の目的で継続的に株式売買を行い、多額の利益を挙げておりながら、自己の所得税を免れようと企て、家族名義等を用いるなど不正の方法により株式売買益の総てを秘匿し、昭和六二年分の実際総所得金額が六億一五五九万一五一九円もあったのに、所轄税務署長に対し、総所得金額が一一二三万円であって、これに対する所得税は源泉徴収税額を控除すると一八万九八二〇円の環付を受けることとなる旨虚偽の記載をした所得税確定申告書を提出し、そのまま法定の納期限を徒過させ、もって不正の行為により、三億五九〇二万二九〇〇円の所得税を免れたという事案である。

右にみたように、本件の逋脱税額は多額であるのみならず、その逋脱率も極めて高い(ちなみに、原判決は、この点につき、「脱税率も還付請求をしたため一〇〇パーセントを越えて」いる旨説示しているが、逋脱率は、逋脱にかかる税額を、「課税総所得金額に所得税法所定の税率を乗じて算出した税額から税額控除分(源泉徴収税額は、これには含まない。)があるときはこれを差し引いた金額」で除した数値に一〇〇を乗じて算出すべきものであり、これによって逋脱率を計算すると約九九.四四パーセントとなる。原判決が罪となるべき事実中に判示する「正規の税額」は、右金額から源泉徴収税額を控除した金額であるから、これを基礎として逋脱率を算出するのは誤りである。しかし、正しく算出した逋脱率との差異は僅かであり、もとより本件の量刑判断に影響を及ぼすものではない。)。そして、被告人が本件犯行に及んだのは、税理士からの勧めもあったにせよ、主としては、将来豊かな生活が出来るよう、その資金を獲得しておこうとしたものであって、その動機には格別酌量すべきものが認められない。また、所得秘匿の態様も当初から妻やその親族など他人名義を使用して課税要件を満たさないよう取引名義の分散を図って行った計画的なものである。更に、被告人は、国税局の査察段階において、本件犯行を長期間にわたり頑なに否認したばかりでなく、査察官から修正申告をするよう勧告されたにもかかわらず、前記伊藤らの脱税に対する影響等を考慮して、これを拒否し、身柄を拘束された後、担当検察官に真実を述べて修正申告するよう諭されたほか、弁護人にも同様の助言をされるなどしたため、平成二年一一月二九日に至って漸く修正申告に応じたものの、前記伊藤に対する所得税法違反の査察が開始された後、同人や自己の刑責を免れるべく、同人らと連絡を密にして、その対応策を講ずるなどしたものであって、犯行後の情状も極めて悪質である。以上に、被告人が納付した本件所得税は僅かに一二四〇万円だけであって、その余の本税、重加算税及び延滞税等合計四億七六八四万九一〇〇円については未だに納付されていないこと、被告人には昭和五〇年二月詐欺罪により懲役三年・五年間執行猶予の裁判を受けた前科があることなどの諸点を併せ考慮すると、被告人の刑責は甚だ重いといわざるを得ない。

所論は、被告人が本件所得税を納付するため、国に対し、不動産を担保に供したので、租税収入の侵害は回復されたものと同視すべきであるから、この点を被告人に有利に斟酌すべきである旨主張する。確かに、被告人が本件所得税を納付するため、いずれも有限会社コスモイレブン(代表者被告人の妻小林和枝)所有の宅地三筆(合計四四九.五五平方メートル)及び居宅一棟(鉄筋コンクリート・木造スレート葺地下一階つき二階建)を担保に提供し、その不動産に大蔵省を低当権者とする抵当権が設定されていることは関係証拠上明らかである。しかし、右の各不動産にはいずれも先順位の抵当権や根抵当権が設定されているので、大蔵省を抵当権者とする抵当権が実行されたとしても、果たして国税債権が回収されるか否かは必ずしも明らかでない上、抵当権を実行して国税債権を回収するまでにはかなりの時間を要するので、右担保の提供をもって租税収入が現実に回復された場合と同視することは到底出来ない筋合であるから、所論は採用の限りでない。

次に、所論は、有価証券譲渡による所得につき、昭和六三年一二月所得税法の改正により、原則非課税制度が廃止され、申告分離課税ないし源泉分離課税に改められたので、その源泉分離課税を選択し、被告人に対する本件逋脱額を試算してみると、僅か一一二五万二一八〇円となるに過ぎず、したがって、現時点においては、右の試算額を納付すればよいところ、その納付額が本件逋脱額に比し著しく異なるので、この点を被告人に有利に斟酌すべきである旨主張する。しかし、所論のいう改正法は経過規定を設け、本件のような改正前の行為には適用しない旨定めている上、右のような経過規定を設けた趣旨は、裁判時の如何を問わず、同一の法令を適用して正規に納税した者との間に不公平が生ずることのないように扱うことを明らかにしたものであるから、被告人の本件所得税につき改正法を適用する余地がないのみならず、この点を被告人に有利に斟酌すべきいわれも全く存しない。この点に関する所論も採用することは出来ない。

してみると、被告人は、本件犯行について深く反省すると共に、未納税額を納付すべく奔走したが、結局、納税資金を調達するまでには至らなかったため、不動産を担保に提供するなどして、国税当局から換価の猶予を得た上、当審にいたってから合計二四〇万円を分割納付したこと、被告人は、胃癌を患い、胃全部を切除し、引き続き抗癌剤の投与を受けるなどして治療中であり、健康が勝れないこと、被告人が服役するようになると、小倉硝子工業株式会社の経営に多大の影響を及ぼすこと、この種事犯との刑の権衡、その他所論が指摘する被告人に有利な諸般の情状を十分斟酌しても、被告人を懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に処した原判決の量刑は誠にやむを得ないものであって、これが重すぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 新田誠志 裁判官 浜井一夫)

平成四年(う)第四九一号

控訴趣意書

被告人 小林泰輔

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴趣意は、左記の通りである。

平成四年五月二二日

右主任弁護人 島田種次

弁護人 鈴木善和

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 原判決は、刑の量定が不当であり、破棄されるべきである。

一 原判決は、「被告人を懲役一年六月及び罰金七〇〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは、金四〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。」としてその懲役刑につき刑の執行を猶予しなかったが、この刑の量刑は、重すぎて不当である。

二 原審が、被告人を実刑に処した理由

1 原判決は、その罪となるべき事実において、「被告人は、理化学用硝子機具の製造・販売会社の代表取締役をしていたものであるところ、共同して会社経営にあたっていた税理士が、偶々取引先の融資担当者から仕手株情報を得て、被告人に株式売買を大量に行うことを勧め」たことを認定して、<1>被告人が仕手筋と結託して本件株式を購入したものではないこと及び<2>本件犯行が偶発的なものであったことを示すと共に、量刑の理由においては、「脱税の動機として特に酌量することはできない」としながらも、<2>被告人が「幼い頃から苦労を重ねてきたこと」を動機として認め、更に、被告人に有利な事情として、<4>「本件犯行は、当時共同して会社経営にあたっていた税理士から、株式売買による所得に対する課税を不正に免れる方法や株式購入資金の捻出方法をも教示されたことが発端であり、具体的な秘匿の方法も右税理士の発案によるものであって、被告人自らがあれこれ算段を巡らして脱税工作を始めたものではないこと」、<5>「被告人は、本件について反省の態度を見せて事実関係を認めるに至り修正申告をし」たこと、<6>「未納の税金については、不動産の売却や金融機関から新規借入れにより、納税資金を調達しようと努める一方で、税務当局に現状を説明して今後の納付計画を明らかにするなど、納税について、誠実に対応しできる限りの努力を試みていること、」、<7>「一時は経営難に陥った会社を建て直し、事業規模を拡大して業績を上げ、社員から広く信望を得ており、今後は会社経営に専念していくことを誓っていること」、<8>被告人の「家庭の状況」等を各認定している。

それにもかかわらず、原審が被告人を実刑に処したのは、何故か。原審は、被告人に不利な事情として、<1>「脱税額が三億五九〇〇万円余の高額に上っている」こと、<2>「脱税率も還付請求をしたため一〇〇パーセントを越えて」いること、<3>「所得の秘匿にあたって、当初から計画的に他人名義を用いて株式取引を分散し、株式購入資金や株式売買益についてもあれこれ工作をし」たこと、<4>「国税局の査察を受けてからも関係人との間で犯行を隠すため打合せを行うなどしている」こと、「その上、見逃し得ない」事情として、<5>「脱税した本税のうち未だ一〇〇〇万円が納められただけで、その余の本税・附帯税については納税されておらず、多額に上る国家租税収入の侵害が回復されていないこと」を挙げているが、これらの事情のうち、被告人を実刑にするか、執行猶予にするかについてその判断を分けたのは、「その上、見逃し得ない」として敢えて強調していることにも表れているように、不利な事情<5>の「租税収入の侵害が回復されていない」という事情であることは疑いがない。

2 原判決が認定した被告人に不利な事情の検討

(一) 不利な事情<1>の「脱税額が三億五九〇〇万円の余の高額に上っている」ことについて

右三億五九〇〇万円余という金額も、統計上は、飛び抜けて巨額であるとはいえない。なぜなら、国税庁発表の昭和六三年度の査察実績(「国税速報平成元年七月三日発行」)によれば、昭和六三年四月から平成元年三月までに国税局が検察庁に告発した査察事件の一件当たりの脱税額は、個人で約三億円(但し、査察実績では、加算税を含む金三億九六〇〇万円として発表されている)、本件と同種の株式取引にかかる事件では一件当たりの脱税額は約金四億円(但し、査察実績では、加算税を含む金五億四一〇〇万円として発表されている)にもなるものであって、この株式取引に係る同種事案での平均値は本件の三億五九〇〇万円余という金額を大きく上回ることが明らかであるからである(なお右統計は、近時の竹井被告人や稲村被告人の超巨額事件によって平均値が釣り上げられる前のものである)。

(二) 不利な事情<2>の「脱税率も還付請求をしたため一〇〇パーセントを越えて」いることについて

(1) 脱税率が一〇〇パーセントを越えているというと、いかにも納税意識が全く欠如しているかの様にとられかねないが、被告人は、昭和六二年分の所得税として一九八万五五五〇円を納付しているものであって(平成三年押第二七号の10)、全く税金を納めていないという訳ではない。そこで、弁護人は、その弁論のなかで脱税率は九九パーセントである旨表現したものである。いずれにしろ、大切なことは、右の一九八万五五五〇円は納めているという事実である。

原判決が「脱税率も還付請求をしたため一〇〇パーセントを越えて」いるとしているもの、被告人が所得税を一円も納めていないという意味で述べているものではないものと思われる。

(2) しかも、被告人の納税意識という点では、見過ごすことの出来ない事実として、次の二つの事情を挙げることができる。一つは、被告人が業務を統括している小倉硝子工業株式会社が、平成元年一一月一四日、飯塚税務署長から優良申告法人として表敬状を授与されている(平成三年四月一〇日付被告人小林泰輔の速記録二〇丁、「表敬状」)ということである。ちなみに、優良申告法人とは、「税歴が優良で、経理・申告内容も良好であり、かつ、国税の滞納がないなど税務に対して協力的であって今後とも適正な申告と納税が期待できる等の一定の選定基準を満たすものとして、所轄税務署長から国税局長に上申のうえ、当該税務署長から『優良申告法人』として表敬された法人。」(財団法人大蔵財務協会発行・「租税擁護事典」)のことをいうものである。

いま一つの事情は、本件に係る逋脱所得の内から金一億三〇〇〇万円が右小倉硝子工業株式会社の滞納法人税の支払のために充てられたということである(被告人平成二年一〇月二四日付検面調書五項、平成三年八月二二日付被告人質問調書二丁・三丁・「第五期決算報告書長期貸付金の内訳書」)。

これら二つの事情は、被告人の納税意識を評価する上で、特に考慮されてしかるべきものである。

(三) 不利な事情<3>の「所得の秘匿にあたって、当初から計画的に他人名義を用いて株式取引を分散し、株式購入資金や株式売買益についてもあれこれ工作をし」たことについて

右の点については、原判決自体が、有利な事情として右<4>で「本件犯行は、当時共同して会社経営にあたっていた税理士から、株式売買による所得に対する課税を不正に免れる方法や株式購入資金の捻出方法をも教示されたことが発端であり、具体的な秘匿の方法も右税理士の発案によるものであって、被告人自らがあれこれ算段を巡らして脱税工作を始めたものではないこと」を認定し、言わば、右不利な事情を打ち消す事情を認定していることが指摘できるのである。

(四) 不利な事情<4>の「国税局の査察を受けてからも関係人との間で犯行を隠すため打合せを行うなどしている」ことについて

右のとおり、被告人が逮捕勾留される前の態度は決して褒められるものではなかった。平成元年に被告人伊藤信幸税理士(東京地方裁判所刑事第八部において審理中)に対する所得税法違反容疑に関連して、被告人も、福岡国税局で参考人として取調べを受けたものであるが、その際に、被告人は、自分の行為が脱税であると確定的に認識したにもかかわらず、元国税局の査察官という経歴のある税理士に相談した結果、修正申告をしないほうが良い旨のアドバイス受けたため、結局、修正申告をしないで過ごしてしまった。そして、いよいよ、平成二年三月、被告人自身を被疑者とする査察調査を受け、その際には、担当の査察官から、五分間時間を上げるから修正申告をしないかと勧められ、その場では、即答を避けて帰宅し、妻に相談したところ、妻は、泣いて修正申告をするようにと夫である被告人に迫ったこともあって、確定申告をお願いしている税理士に修正申告を頼んだところ、査察着手後は修正申告は出来ないといわれたこともあり、この機会も逃してしまった。

その後も、被告人は、思い悩む毎日を送ったが、税理士である右伊藤被告人や元国税局査察官の経歴を持つ税理士の些か不適切なアドバイスの影響を脱し切れずに、とうとう修正申告を出来ずに、逮捕勾留されるに至ってしまったのである(平成三年四月一〇日付被告人小林泰輔の速記録一二丁から一九丁、平成三年八月二二日付被告人質問調書一丁)。

要するに、被告人は、否認していた間も、思い悩み、またそこに適切なアドバイスが一つでもあれば、こんなことにもならなかったという不幸があったのであり、しかも、被告人は、この点も含めて、今は、深い反省、悔悟の中にあるものであって、この点は、有利な事情<5>の「被告人は、本件について反省の態度を見せて事実関係を認めるに至り修正申告をし」たことにして原判決でも認定されているものである。これらの事情を考慮すれば、右不利な事情についても、相当程度打ち消されているものと考えられるのである。

3 不利な事情<1>から<4>についての以上の検討を踏まえると、前述のとおり、被告人を実刑にするか、執行猶予にするかについてその判断を分けたのは、結局のところ、不利な事情<5>の「租税収入の侵害が回復されていない」という事情であるということが明らかとなる。このことは、次に述べる期日指定についての裁判所の訴訟指揮や、原判決当日に出された保釈決定に当たっての原審裁判所の配慮にも明瞭に表れている。

(一) 被告人についての公判期日は、次のとおり開かれた。

(第一回、第二回とは被告人小林泰輔にとっての回数である)

第一回 平成三年一月二二日

瀬戸恒貴、松尾治樹、伊藤信幸及び小林泰輔の四被告人併合の審理。

瀬戸恒貴、松尾治樹及び小林泰輔の三被告人は、検察官の提出証拠につき全て同意したため、伊藤信幸被告人と分離公判となる。

第二回 平成三年三月一九日

瀬戸恒貴、松尾治樹及び小林泰輔の三被告人併合審理。

松尾治樹被告人への被告人質問。

第三回 平成三年四月一〇日

瀬戸恒貴、松尾治樹及び小林泰輔の三被告人併合審理。

瀬戸恒貴び小林泰輔被告人への被告人質問。

次回から瀬戸恒貴、松尾治樹及び小林泰輔の三被告人についてもそれぞれ分離公判となる。

第四回 平成三年六月二〇日

小林泰輔被告人に関し、情状証人二名の取り調べ。

第五回 平成三年八月二二日

小林泰輔被告人への被告人質問。

結審の予定で、次回期日を平成三年一二月一七日と指定。(なお、同日、松尾治樹被告人に対しては、懲役一年六月、執行猶予三年、罰金八五〇〇万円の判決が宣告された。)

第六回 平成三年一二月一七日

納税に努力していること及び今後の見通しについて、被告人質問を行い、論告、弁論を行って、結審。

但し、判決宣告期日までに納税が出来たら、弁論を再開するという含みで、判決宣告期日を平成四年三月五日と指定。

第七回 平成四年三月五日

判決宣告期日の予定を弁論再開。納税は出来ていないが、国税局に、不動産等の担保提供をして、換価の猶予の決定を受けた事実を被告人側で立証。

判決宣告期日を、平成四年三月一一日と指定。

第八回 平成四年三月一一日

判決宣告。

同日、保釈決定。なお、保釈金は、原審第一回公判前に納付した六〇〇〇万円と同額。

右の公判期日の指定状況で、特に注目すべきは、第四回と第五回との公判期日に約二ケ月間、第五回と第六回の公判期日に約四ケ月間、そして更に、第六回と第七回との間に二ケ月弱の期間があることである。しかも、判決宣告期日の前日である平成四年三月四日になって、被告人が国税局に担保提供するとともに換価の猶予の決定を受けたことから(「換価の猶予通知書」、「担保の提供及び換価の猶予を受けるに至りましたことに関します上申書」)、更に、弁論再開の決定がなされ、証拠調べがなされて平成四年三月一一日に判決宣告に至ったのである。

被告人は、「不動産の売却や金融機関からの新規借入れにより、納税資金を調達しようと努め」るという最大限を尽くしたにもかかわらず、不動産関連融資の総量規制とこれに関連して生じたいわゆるバブル経済の崩壊という世の流れに打ち勝つことが出来ず、結局、それも、平成三年度中には、その努力の成果を納税という形で表すことが不可能となったため、「税務当局に現状を説明して今後の納付計画を明らかにするなど、納税について、誠実に対応し、できる限りの努力を試みている」(被告人に有利な事情<6>)のであった。これらの被告人の努力の経緯が、そっくりそのまま映し出されたのが、右公判期日の指定状況であると言っても過言ではないのである。

(二) 被告人は、原審の第一回公判期日前である平成三年一二月二六日、保釈保証金六〇〇〇万円にて保釈許可決定を受けて保釈されていたものであるが、実刑判決を受けたため、弁護人は保釈請求を行ったところ、全く上積みなしの六〇〇〇万円の保証金にて、同日、保釈許可決定を受けることが出来た。

これは、原審裁判所としても、控訴審の間に、是非とも納税について、更なる実績を作ることを期待しているものと無理なく受け取れる措置である。このことからも、被告人を実刑にするか、執行猶予にするかについてその判断を分けたのは、結局のところ、不利な事情<5>の「租税収入の侵害が回復されていない」という事情であるということが明らかとなるのである。

三 原判決の不当性

1 担保提供は、租税収入の侵害の回復と同視すべきである。

(一) 原判決は、既に見たように、結局、不利な事情<5>の「租税収入の侵害が回復されていない」という事情を以て、被告人を実刑判決に処したものである。勿論、弁護人としても、約三億五九〇〇万円余の税金を脱税しながら「脱税した本税のうち未だ一〇〇〇万円が納められただけ」であることにつき、原判決が「見逃し得ない」こととして、決定的な重きを置いたことには、理解できる点がある。それだからこそ、被告人も、裁判所の期待に応えたいとの気持ちから、納税には最大限の努力を払ってきたものである。しかしながら、最後に万策が尽きて選んだ道が、お金で納付できない代わりに物納したいということであったのである。

しかしながら、物納は相続税において認められているだけで、所得税においては認められていない。そこで、不動産の担保提供という道を選んだものである(「換価の猶予通知書」、「担保の提供及び換価の猶予を受けるに至りましたことに関します上申書」)。

(二) 被告人は、納税の資力がないわけではない、ただ、それを自ら換価することは、不動産関連融資の総量規制が解除された後も、弱まることのない不動産関連業界の不況により、今、現在は、それが不可能となってしまっているに過ぎないのである。そこで、被告人は、国庫に対して与えている迷惑を出来るだけ緩和させるとともに、自分自身の心のけじめを着けるためにも、すすんで、右コスモイレブンの物件を国税局に担保提供し、更に、最悪の事態をも想定して、小倉硝子工業からは納税保証書を国税局に差し入れてもらっているものである。この結果、このような被告人側の対応その他を総合勘案した東京国税局は平成四年三月四日、被告人に対し国税徴収法一五一条一項一号に基づく換価の猶予の決定を行ったのである。

(三) 右換価の猶予を受けるためには、滞納者において「納税についての誠実な意思を有すると認められる」ことが前提となる要件として規定されている(国税徴収法一五一条一項本文)。

また、「換価の猶予をする場合には、その猶予に係る金額に相当する担保を徴さなければならない。」ことを原則とすることとされている(国税徴収法一五二条・国税通則法四六条五項・六項・国税徴収法第一五二条関係4担保の聴取)。

従って、被告人が「換価の猶予通知書」記載のとおり滞納税額全額について換価の猶予を受けられたということは、国税当局としても既になされている被告人名義の不動産に対する差押と合わせて、今回の担保提供によって、滞納税額全額をそれに相当する確実な試算でもって保全し得たということ及び納税についての被告人の誠実な意思を国税当局が認めたということを意味するものである。

(四) 以上のとおり、被告人は、滞納している納付義務の履行について、これを保証する人物的担保を提供するとともに、納付計画を申し出て、誠実な意思をもってこれを実行することを誓っている。しかも、被告人は、右換価の猶予の決定により国税当局には十分な担保提供を行った上で納付についての時間的な猶予を頂戴しているのである。つまり、被告人にとっては、滞納している税金を完納できることは、時間の問題に過ぎないのであって、実質的には納付済みと同視すべきものなのである。

原判決には、これらの事情に対する配慮が伺われるところもあるが結局、不納付であるという形式面に重きを置き過ぎているものであって、これが、被告人を実刑に処した決定的な理由となっているという点で、不当であることは明らかである。

2 原判決は、株取引にかかわる名義借りの手口による脱税行為自体の違法性の評価につき、全く沈黙している点で、不当である。

(一) 有価証券の譲渡による所得については、昭和二八年以来、長年にわたり原則非課税とされて来たが、昭和六三年一二月の税制改正では、株式等の譲渡による所得については、原則として申告分離課税又は源泉分離課税とすることとされた。

この昭和六三年一二月の税制改正によると、現在の上場株式等の取引にかかる所得については、申告分離課税を選択すると譲渡益の二〇%が課税されることになるが、源泉分離課税を選択すると譲渡代金の一%が徴収されそれをもって所得税の課税関係が終わることとなっている。

つまり、この改正は、名目上は、従前の有価証券の譲渡益に対する原則非課税を原則課税に変更したものともいわれているものの、特に上場株式等について源泉分離課税の選択を認めたということは、その原則課税の名とは逆に、実質的には、株の譲渡益に対する所得税としての累進税の課税を放棄したものであるということができ、更に端的に表現すれば、有価証券取引税の上乗せを行うことに等しいものと評価できるものなのである。

そこで、例えば、被告人が行った本件の飛島建設株の取引に対する課税関係が、昭和六三年一二月の税制改正後にはどのようになるかについて見てみると、譲渡代金の総額は金一一億二五二一万八〇四〇円(「有価証券売買益調査書三〇頁」)であるからその一%すなわち、金一一二五万二一八〇円の源泉分離課税を受入れれば済むことになるのであって、右改正前、つまり本件犯行時改正後の現在とは、その課税態度に雲泥の差が認められるのである。しかも、改正後は源泉分離課税であることから、名義を人から借りようがどうしょうがその、一律に課税されるため脱税という事態も在り得なくなっているのである。

勿論、右改正前においては、被告人の行為は、脱税であった。しかしながら、右改正前においては、株の譲渡益についての申告をしていた者は、極々小数であったということは、公知の事実である。しかも、その中には、単に取引回数や取引株数を調整するだけではなく、恐らくは、証券会社の営業マンからのアドバイスによって、本件と同じように人から名義を借りたり等の手口により、外形を整えて、いわゆる非課税枠の範囲内であるとしても、申告していなかった者が大勢含まれていたということも、また公知の事実なのである。このことは、丸優制度廃止前に、銀行の営業マンのアドバイス等も手伝って、家族名義を借りた預金が大量に存在していたことと同じことであって、このことから考えれば、本件は、一般市民とは別世界で起こったことというよりは、多少、資産がある者であれば、誰もが、さしたる違法意識もなく行ってきた丸優や郵便貯金についての名義借りと同じ性質のものなのである。

しかも、このような名義借りが一般的に見られるという現実に対して、税務当局は、実際上、見て見ぬふりをしてきたということもあったわけであるが、結局、右本音と建前のズレを是正すべく行われたのが、源泉分離課税という方法で、全体として租税収入を確保する一方で、総合課税による累進の所得税を課することを放棄したのが、前述の昭和六三年一二月の税制改正後の現行税制なのである。

つまり、被告人の行為は、行為時の所得税法においては脱税であるが、現在の所得税法上は、なんら脱税とならないわけであって、勿論、裁判規範としては、行為時の税法は生きているけれども、本件は、このような税制の変革期に起きた事件であり、その行為の評価に変更がなされているということは、被告人の行為の評価をする上で、不可欠の事情である。それにもかかわらず、原判決は、この点の判断につき沈黙しているものであって、不当であるといわざるを得ないのである。

(二) 昭和六三年一二月の税制改正前の有価証券税制について

昭和六三年一二月の税制改正前の所得税法上、有価証券の譲渡による所得は原則非課税とされていた(改正前の所得税法九条一項一一号)。前述のように、これは、昭和二八年以来実施されているものであるが、その根拠は、<1>有価証券の譲渡による所得が、その性質上、税務官署による調査がいたって困難であり、取引の変動、権利落ちや無償交付の還元の仕方等所得計算の複雑困難な問題があって公正な課税が殆ど不可能に近いこと、<2>他面、当時の自己資本の充実、資本蓄積を必要とする経済的要請から一般投資家の企業への投資を誘い、大衆資金の導入による健全な有価証券市場の育成に資するということにあるとされている。そこで、代替としての有価証券取引税の実施を機会に、有価証券の譲渡による所得を非課税とするとともに、有価証券の譲渡による損失についても所得から差し引かないこととされたのである。

つまり、有価証券の譲渡については、申告による累進総合課税によるよりも、その取引の都度課せられる有価証券取引税によって、売却利益の如何を問わず一律に課税することが却って負担の公平に合致するものと認識されていたものであって、この認識は、原則課税と名目が変わったはずの昭和六三年税制改正後においても、その源泉分離課税制度に、有価証券取引税法の上乗分の課税としての実態をもって、引き継がれているのである。言い換えれば、有価証券の譲渡益に対する課税については、その所得に対する累進課税によるよりも、譲渡益に対する一律課税が公平であるとの判断は、租税政策の中において、一環して取られているものなのである。

(三) もっとも、この税制改正後の現在と違って、原則非課税時代においては、昭和二八年当時から例外とされてきた<1>継続的取引から生ずる所得や、昭和五四年の所得税の改正において租税特別措置法の中に導入された<2>同一銘柄の株式等を相当数譲渡したことによる所得やその他、特定の類型の所得が、原則非課税の例外とされていたが、本件は、この租税特別措置法の規定により課税対象とされることになった取引行為に関するものであって、それも二〇万株以上という枠は同施行令をもって規定されているものなのである。

すなわち、このような、当分の間について規定する租税特別措置法のそのまた施行令にまでいって、やっと本件の行為は、所得を免れる行為であるということになるのであって、このような未だ、社会通念としての定着性の乏しい規定に対する違反行為が本件の被告人の行為であることも、また、考慮の対象にしてしかるべきものである。

(四) 以上、要するに、<1>被告人の飛島建設株の取引に対する所得税の課税関係は、現行の有価証券税制においては金一一二五万二一八〇円源泉分離課税を以て全て終了するものであって、全く、脱税にはなりようがないものとなっていること、<2>そもそも、有価証券税制においては、その譲渡益に対する一律課税が合理的であるとの考えが取られていることや、有価証券の譲渡所得については、多くの者が名義借り等によって課税を免れていたこと、税務当局もそれを見て見ぬふりをしてきたことに照らせば、本件のような株の取引に係る脱税事件について厳罰をもって臨むことは、逆に、不公平感をも与えることになること、<3>そして、本件の株による譲渡所得は、租税特別措置法施行令までたどってやっと課税要件が明らかになるという、社会通念としての定着性が乏しい規範に対する違反であること等を、弁護人は原審においても力説してきた。

しかしながら、原判決は、これらの、本件の違法性に対する評価については不可欠な事情について全く沈黙していたっているものであって、これは、明らかに不当である。

3 まとめ

原判決は、不利な事情<5>の「租税収入の侵害が回復されていない」という事情を以て、被告人を実刑に処したものである。しかしながら、被告人が国税当局に十分な担保提供を行った上で納付について時間的な猶予を頂戴しており、これは実質的には、納付済みと同視すべきものであること及び、本件は、そもそも現行税制では脱税にはならない行為であること等を適切に評価した上で、既に原判決で認定された被告人に有利な諸事情を考慮するならば、被告人の懲役刑につき執行猶予を付さずに実刑に処した原判決は、重過ぎて不当であって破棄されるべきであることは明らかというべきである。

第二 第一審判決後の刑の量定に影響を及ぼすべき情状も加えれば、原判決の量刑をそのまま維持することは正義に反する。

一 被告人は、現在、「換価の猶予通知書」の納付計画に従って、滞納国税の納付を実行し続けている。しかも、原審の実刑判決に感銘し、また更に、深く反省するに至っている。

二 したがって、仮に、原判決の量刑が、必ずしも重過ぎて不当であると断ずることができないとしても、右の第一審判決後の刑の量定に影響を及ぼすべき情状に原審当時から存した被告人に有利な諸般の情状を加えれは、懲役刑の執行を猶予しなかった点で原判決の量刑をそのまま維持することは正義に反するもの

よって、原判決は破棄を免れないものである。

以上

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例